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鳥取地方裁判所 昭和49年(わ)75号 判決 1975年1月28日

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

被告人は、昭和四三年三月一四日ころより倉吉市経済部商工課観光開発係勤務となり同市仲ノ町三、四四五番地所在の同市管理にかかる打吹公園看守人として、同公園の動物舎その他諸施設の看守保護および動物の飼育管理などの業務に従事するものであるが、同公園中央広場の北端付近に南に面して設置された熊舎は、ブロツク造りの寝小屋二室(床面積9.4平方メートル)の南側に高さ四メートルの鉄柵(鉄パイプの間隔約0.1メートル)で覆われた檻(運動場床面積13.9平方メートル)が併置され、その檻の正面および東西の側面には、檻から1.75メートル離れて高さ1.02メートル(縦の鉄パイプの間隔0.13メートル)の外柵が取付られていたものの、前記寝小屋の東側のブロツク壁に接した外柵の右ブロツク壁に直近する縦の鉄パイプと右ブロツク壁との間隔は0.28メートルであつて、幼児が容易に柵内に立入る危険があるのみならず、右外柵の東側には一般人の立入りを禁止するため、長さ3.25メートルの鉄パイプ二本が横に上下0.4メートルの間隔で取付けられていたに過ぎなかつたため、幼児においてその間をくぐつてたやすく熊舎の前記東側のブロツク壁に接した外柵部分に接近することができる構造になつており、安全対策上危険があることを知悉していたところ、さらに、昭和四八年二月ころ、二、三名の子供が数回にわたり前記立入り禁止柵をくぐり抜けるのを目撃したことから、これら子供が前記外柵より熊舎に接近し子供に不測の危害を及ぼすおそれが十分予見されたのであるから、このような場合、公園看守人としては、直ちにこれを上司に報告して前記施設の瑕疵を補修し、或は自ら応急措置として前記外柵および立入り禁止柵に立入り防止のための適宜の措置を講じ、もつて熊による危害の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らずこれを怠り、何等の措置をとることなく漫然放置した過失により、同年五月一〇日午前一一時三〇分ころ、同公園に遠足に来た保育園児小谷節子(当四年)において、菓子を与えようとして前記立入り禁止柵をくぐり抜けて前記外柵から右手を熊舎の檻にさしだした際、右檻の中に飼育されていた月の輪熊(牡五才)をして、同児の右腕を両前足の爪で引かけ檻の中に引き寄せて咬断するに至らしめ、よつて同児に対し接合回復不能の右上肢咬断創の傷害を負わせたものである。

(無罪理由)

当裁判所は、取調べた全証拠を慎重に検討した結果、本件事故は熊舎の施設に設備上の瑕疵があり、それが大きな原因となつて生じたものとみられ、したがつて、そのような瑕疵ある熊舎の設計ないしその後の維持・管理にあたつてきた関係者のうちの誰かに過失責任が存するのではないかと一応考えるが、しかし、その場合の責任は、少なくとも、本件で起訴された被告人のように、公園看守人とは言いながら管理関係者中最末端の労務職員として、単に公園全般や動物舎内の清掃、動物への飼料の投与、立木の保護などという、いわば公園管理行為のうちでも最も判断を要しない機械的、労務的作業を上司の命に従つて行つていたにすぎない者に帰せられるべき性質のものではないと考える。そこで、以下その理由を述べる。

一まず公訴事実中、つぎの事実は証拠上明らかであり、全く争いがない。すなわち、本件事故の発生した五月一〇日、国府町立第三保育所(所長湊登喜子)と同町立栃木児童館(館長山本純子)の合同遠足が行なわれ、園児合計三四名が三一名の保護者に付き添われ、右所長、館長など四名の者に引率されて、同日午前一〇時四五分ころ打吹公園に到着したこと、そのなかに本件被害にあつた第三保育所園児小谷節子(昭和四四年二月二日生。以下単に被害者ということがある。)が含まれていたが、当日同女は姉で、同じ保育所に通つている宣枝(当五年)とともに参加しており、その二人に対して母親小谷幸子(当二八年)が付き添つていたこと、公園到着後間もなく引率者から午後の決められた集合時間までの間は自由行動にする旨告げられ、各自公園内で保護者とともに思い思いにすごしていたこと、また引率者らはこれと別に公園内を見てまわつていたこと、被害者は、自由時間になつてしばらくの間は園内の熊舎・小鳥舎のあたりを見てまわるなどしていたが、一旦母親の許へ立戻つて駄菓子をもらつた直後の同日午前一一時三〇分ころ、当時熊舎にかわれていた月の輪熊(牡五才)に菓子をやろうとして熊舎東側のブロツク壁と外柵との接する付近の隙間から檻の鉄柵にむかつて右手を差し出したところ、熊が同鉄柵の間から両前足をつき出し、その爪に園児服の右袖のあたりを引つかけられて檻に引き寄せられ、それを姉宣枝の急報でかけつけた母親幸子や付近に居た者らが被害者の身体に背後から抱きついて引き離そうと必死に努力したものの引き離すことができず、その頃、被害者の右腕の肘付近を熊に咬みつかれ、ついに右上腕部を咬断されてしまつたこと等の各事実は証拠上明らかである。

二能舎および本件事故の生じた外柵・立入禁止柵付近の状況

(一)  本件熊舎は、一般人に常時無料公開されている打吹公園内にいくつか設置されている動物飼育舎のうちの一つで、昭和三二年ころ、倉吉市土木課の設計によつて設置され、以来同市経済部商工課によつて維持・管理されているものである。舎屋はブロツク造りの寝小屋二室と、その南側に接続している運動場で高さ四メートルの鉄柵で覆われた檻の部分(檻の鉄パイプ間隔は一〇センチ)とからなつているが、一般観覧客が檻の鉄柵に直接近づくことがないようにとの安全対策上の考慮から、檻の正面部(南側)および東・西両側面部の三方には、檻から1.75メートルの間隔を置いて高さ1.02メートル(一二センチの高さのコンクリート基礎の上に九〇センチの鉄柵)の別の外柵がもうけられている。設置当初には、外柵の鉄パイプ間隔が26.7センチ位あり、広すぎてパイプとパイプとの間をくぐり抜けて檻に近付く子供がいて危険であつたため、その後改修してパイプの間隔を狭くし(約一三センチ)、同時に檻の鉄柵と外柵との間の部分に水をためて池とし、これらの設備によつて一般観覧客が檻に近づくことができないように配慮して事故当時に至つていた。

また、檻の東側の、外柵がきれるあたりには、同所から観覧客が檻の裏(北)側部分に立入ることのないよう立入禁止柵をもうけ、熊舎設置当初の頃は杉丸太二本を水平にして上下に間隔を置いてとりつけ、その後老朽化のため、昭和三五年頃長さ3.25メートルの鉄パイプ二本につけかえられて事故当時に至つていた。

(二)  熊舎外まわりの状況は、概略右のとおりであり、一般観覧客が檻の鉄柵に直接近づくことは容易でないかに見えたが必らずしもそうでないところが一個所残つていた。すなわち、熊舎東側のブロツク壁に外柵が接している部分だけは、外柵の縦の鉄パイプ間隔が広く、そのため鉄柵とブロツク壁との間に幅二八センチ、高さ七四センチ位の広い隙間が残されていて、ここから幼児が容易に柵内に立入ることのできる状態となつていた(以下用具出し入れ口という。)。しかも、その部分は、檻の鉄柵との間が短いところで二六センチ、長いところで四六センチ位しかはなれておらず、外柵のなかで檻に最も近い位置にあたつているところであり、(当裁判所の検証調書添付第二図面参照)、かりに外柵部分から幼児が手をのばし熊に餌をやろうとすれば、檻の鉄パイプと鉄パイプとの間の約一〇センチの間隔部分から差し出される熊のに手ひつかけられてもおかしくないぐらいの近い位置関係にあつたことが認められるのである。そして、本件事故はまさに右の個所においておこつている(その付近のより詳細な状況は別紙概念図に記載のとおりである。)。もとより、その個所は一般人の出入り自由な観覧場所ではなくそのはづれにもうけられた立入禁止柵によつて分界され立入つてはいけないとされている奥の場所にあたつているのであるが、事故当時に設けられていた禁止柵の構造が、地上三〇センチの個所と、その上さらに三九センチの個所に各一本づつ鉄パイプを水平にしてとりつけてあるだけで、たて方向の柵が全くない簡易なものであつたため、大人の観覧客に対しては立入禁止柵として役割をはたしたであろうが、小さな子供のように視点が低く、大人の考え及ばないような行動を平気でやつてのけることの多い者に対しては、柵の間隔が広すぎていともたやすくこれをくぐり抜けて奥部に立入ることができ、実質的には立入り禁止柵としての役割をはたさないものであつたことは否定できない。このことは実際にも事故前において、時には同所に立入つている子供が目撃されたことがあつたことや、さらに事故時においても、被害者だけでなく姉の宣枝、園児の福田知実らが何の苦労もなく右禁止柵をくぐり抜けてその内部の事故現場付近に立入つていた事実からみても明らかといえる(禁止柵の状況についても概念図参照)。

ところで、事故発生の経過を見ると、その直前頃、被害者は母からもらつた菓子を熊にやろうとして園児ばかり三人で立入禁止柵をくぐり抜け、その奥にあたる現場付近へ来たのち、外柵がブロツク壁と接する上述の用具出し入れ口付近から身をのり出して熊に餌をやろうとしていたところ、熊の爪で袖のあたりをひつかけられ外柵の内側に引きこまれたというもののようであり(被害者と一緒に餌をやろうとしていた園児福田知実=昭和四三年八月二一日生の検察官に対する同四九年一月一九日付供述調書)、被害者が自ら立入禁止柵だけでなく右の用具出し入れ口の鉄パイプをもくぐり抜けて外柵のさらに内側、すなわち檻の鉄パイプに直接接する個所にまで入りこんでいたところをひつかけられたとまで認めるに足りる証拠はない(訴因も同旨のようであるが、微妙な点なので念のため明らかにしておく。)。このようにみてくると、本件においては用具出し入れ口の隙間の大・小ということもさることながら、それ以上に、そこから手をのばしさえすれば熊に引つかけられるおそれがあるという危険な場所への立入りを禁止する前記立入禁止柵の構造がはたして安全管理上十分であつたかどうかの方がより重要な意味合いをもつていると考えられる。

三右設備の不備・欠陥性

それでは、用具出し入れ口と立入禁止柵との右のような状況は、熊舎の安全な維持・管理という観点からみて設備上の欠陥があつたとまで評価すべきほどのものかどうか。とくに用具出し入れ口は、熊舎が設置されて少し経過したころ、公園管理の総括責任者である商工課長、当時の公園看守人坂本司を含む同課の主事その他の職員、同市建設課技術職員らが外柵の縦の鉄パイプの本数を増やして間隔を狭くするなどの補修工事の協議をした機会に、看守人からの、熊舎の運動場清掃用の道具の出し入れ、清掃人の出入りの便宜上開けておいてほしいとの希望をとくにいれてそのまま残したもののようであるので、このように熊舎管理上の一応の必要にもとづいて残された隙間であつて、かつ、その程度の隙間がもたらす危険性のおおむね稀薄なことが、設置以来一七年間位の長期の間、その個所で一件の事故もおこつていない事実によつて間接的に裏付けられている場合においても、なお設備上の欠陥と評価しなければならないものかどうか。思うに、公園内に一般人の観覧に供するための動物飼育舎を設ける場合、その飼育舎の設計・管理にあたつては、安全性だけでなく、観覧の便宜性や時に管理行為上の便利性なども考慮されるものであろう。そして、なかには、安全性を強調すれば観覧しにくくなり、観覧し易くしようとすれば安全性を多少後退させざるを得ないという場合もありうるであろう。そのような場合に、いずれの観点をどれだけ優先させるべきかは、舎屋内に飼育される動物の性質や舎屋の規模場所的条件その他によつて一様ではないかも知れない。しかし、ことを少なくとも本件で問題となつた熊舎のように、性質のどう猛な猛獣の飼育舎に限つて考え、しかも、それを打吹公園のように一般人が常時自由に出入りできる公園内で、日頃から幼児、園児等が次々と遠足にやつて来たり、あるいは近くの児童だけが父兄にも伴われないで出入りすることの多い場所に設置する場合について考えてみれば、何よりもまず安全対策上の配慮を第一に重視し、そのような小児達の、大人とはある程度違つた突飛な行動に対しても、なお、飼育動物が観覧客に重大な危害を加えることがないよう万全の措置を講じておかねばならないことは当然だと言うべきである。

これを本件熊舎についてみるのに、上述した形状の檻、外柵、その中間の池の配置などの状況からみて、本件熊舎は、安全対策上かなりの考慮を払つて設置ないし改修されていることは認めることができるが、用具出し入れ口の開放状況と、これに通じている通路の立入禁止柵の簡便すぎる点とについては、上述のような清掃作業のための必要性を考慮してもなお配慮に欠けているところがあつたといわざるを得ない。すなわち、清掃用具の出し入れ、清掃人の外柵内への立入りのためというのであれば、施錠できる開閉戸をつける等の、外柵の一部に隙間を残さなくてもすむ代替方法はいくらも容易に考えられる現場の状況であつて、出し入れ口を残すべき必要性は決して強くないのに対し、他方、清掃人が実際にくぐり抜ける便宜に使つていたというような隙間を外柵に残しておくことは、幼児等にとつて大人の管理人よりなお一層容易に外柵内に立ち入り、あるいは同所から身をのり出して餌を与えようとする危険な個所を残していることになり、とくに右用具出し入れ口の位置が檻と約三〇センチ前後の至近距離にあつて幼児等が外柵付近から手をのばせば、それ以上外柵内側に入りこまなくても檻のごく近くに手が届く危険な場所にあたつていて、幼児等が少しでも檻に近よつて餌をやろうとする行動を示す場合にはかなりの危険が予測されることからすると、この点は前記の用具出し入れの利便よりははるかに重視されねばならない点だと思われるからである。さらに、又、外柵付近から手をのばせば直接檻に手が届きそうな右の場所の危険さは、同所への立入禁止柵の簡便な構造と相互に関連させ、一体として評価されなければならない。右の立入禁止柵は前述のとおり鉄パイプ二本が水平にして、一本は地上三〇センチの個所に、もう一本はさらに三九センチ上の個所にとりつけられているだけで、外柵にみられるような縦のパイプがなかつたのであるから、結局幼児でも、というよりも、むしろ幼児なら尚更容易に、一本目のパイプと二本目のパイプとの間をくぐり抜けてその奥に入ることが可能な仕掛けになつていたといえるのであるが、用具出し入れ口付近の前述の危険さが解消されていないときにはせめて一般観覧場所に接している右の立入禁止柵を人の容易に立入ることのできない安全な構造のものにする配慮がなされて然るべきであつたと考えられるのである。(具体的には、東側外柵の縦のパイプ格子を、外柵と立入禁止柵とが接する個所からブロック壁に向つてではなく、逆に立入禁止柵にそつて東方向に続けて設けておくことが考えられてもよかつた筈であるし、さらに言えば、外柵がブロック壁に接する位置をより奥方向に引さげ檻のパイプとの間隔を広げることが考慮されるべきであつたと思われる。なお、西側の鉄門扉参照。)

このように見てくると、本件熊舎の周辺設備には危険防止のための設備としてはなお瑕疵のある個所が残つていたといわざるを得ない。

四被告人の過失責任

かりに本件事故が、熊舎の設備にひそんでいた前記のような不備・欠陥にもとづいておこつたものと考えた場合、その事故についてまず責任を負うべき者は、公園管理者側の組織上、最末端にあつて機械的労務作業に従事していたにすぎない本件被告人であると考えるのがはたして適当といえるか。

かなり疑問に思われる点なので、以下に検討する。

この点を考える前提として、まず明らかにしておかなければならないことは、本件で問題とされている過失は、公園内に安全対策上不備のある施設が設立、存置されていた事実それ自体から生じており、被告人においてその利用上何らかの不注意な扱いをしたという事柄ではないという点と、そのような設備上の不備は、被告人が昭和四三年に看守人になるよりずつと以前の昭和三二年熊舎が新設された時から続いていたものであるという点、しかもそのような設備が被告人の直接の上司にあたる管理担当者らの間で安全保持上問題がないと判断されて維持管理され、被告人はそのような判断をした管理担当者のもとでそれらの施設を含む公園看守人の地位を前任者から引き継いだにすぎないという事実である。

そこで、まず、同公園看守人としての被告人の職務上の責任範囲を明確にするため、平常同公園の管理が誰の手によつて、またどのようにしてなされるべきものとされ、また実際にはどうであつたかをざつと見ておく。同公園は公園設置者である倉吉市の内部組織上、経済部商工課観光開発係の分掌事務と定められているので、これにもとづき、同経済部長以下の商工課長、同課長補佐、観光開発係主事それから公園看守人等々といつた組織上、上・下のつながりのある職員らによつてそれぞれの地位と権限の範囲に応じてその管理が行なわれることとなつている(倉吉市事務分掌条例)。そして、これら関係者のうち、同公園に常駐しているのは、公園看守人である被告人だけであり、したがつて、公園管理に必要な諸行為のうち、日常的な管理の諸行為、たとえば、公園内の動物舎、諸設備、樹木、庭園等の看守・保護、動物の飼育、管理、園内の清掃等々の諸行為は、すべて被告人によつて処理されるが(公園看守人服務規程)、管理行為のなかでもある程度の裁量判断を必要とする事項、たとえば「公園施設の維持・管理に関すること」については経済部長の専決事項とされ、その判断を求めてから行なわれることとなつている(倉吉市事務代決及び専決規程)。そこで、公園看守人がこれらの施設に異常のあることを発見したときも、まず所属課長に報告し、その指示・命令を受けて措置すべきことと定められている(前掲看守人服務規程五条)。したがつて、この場合、看守人から異常であると報告された事項に対して何らかの措置をとることが必要であるかどうか、必要ならばどのような措置をとるべきか等の実質的な判断は、報告を受けた当該課長において、当該事項の内容に応じて自ら判断し、あるいは然るべき地位の部下職員に命じて行なわせる等して処理されることが管理事務処理の方法として定められているわけである。このような管理ないし事務処理の方法は、単に関係規程の文言上形式的にそうなつているというだけでなく、実際上も通常はほぼこれと同様の運用がなされていたようであり、たとえば施設の改修にあたつては改修の要否はもとより改修範囲・内容・方法などが課長以下の関係者らの実質的な検討によつて決定されていて、少なくとも看守人のみの判断によつてこれらのことが決められていたことを窺わせるような証拠は存しない。そこ残る問題は、公園看守人としては本件熊舎について施設に異常ありと申し出て改修を求め、あるいは自ら一時的に応急の措置を行なうべきであつたと考えられるかどうかの点である。

まず一般的に考えれば、危険な動物舎等を含む公園の看守人は危険な施設の状況・変化に常々注意し、これに異常を発見したときは直ちに上司に報告してその指示を求め、また指示がなされあるいは必要な改修がなされるまでの間、当該状態のまま放置することによつて来園者等に危険の及ぶことが予想されるなど緊急を要するときは、服務に関する明文規定の有無にかかわりなく、自らの判断によつて容易になしうる範囲内の応急の措置を行なうべき職務上の義務があるものと考えられる。このことは、被告人が公園看守人になつた以後その施設にあらたな異常が生じた場合だけに限られず、看守人になつた時期の前後を通じて全く変化のない施設について以前に気付かれるべくして気付かれなかつた危険をあらたに発見した場合においても同様である。しかし、本件用具出し入れ口、あるいは立入禁止柵等の不備な状況について、看守人である被告人が改修の申出をせず、あるいは自ら応急措置を講じていなかつたことは証拠上明白であるが、このことをもつて被告人の管理不十分による過失と評価することは、相当でないというべきである。

何故ならば、右のような設備となつていることについては、熊舎新設以来その管理行為を統括してきた商工課において、とくにその間に右個所の改修工事を行なわせたりした経験もあつて先刻熟知しているところであり、そのうえで安全性に問題はないものとの判断を加えていたのであるから、その後あらたに公園看守人となつた被告人において、設置当時あらかじめ予測されなかつたようなあらたな異常・危険の発生等を発見したという新規の理由がある場合ならば格別、そうでなく、単に誰がみても改修工事当時に予測し検討ずみになつていたであろうと見える施設の状況が続いている場合において、重ねて課長に報告させる必要も意味もなく(報告してもその時点では従前と同様の判断が繰りかえされるにすぎないと予測される。)、すでに報告したのと同様に考えることができるというべきであつたろうし、また、右のとおり上司において一貫して安全だと判断し、かつ実際にも十数年の長期間にわたつて何らこの点に基因する事故が発生せず右の判断が裏付けられているかに見えていた状態のもとでは、とくに被告人において右部分について差しせまつた応急の措置を講じなければいけないような緊急の事情はなかつたと考えるのが相当だと思われるからである。したがつて、被告人がこれらの点にいずれも気付かず、課長に対する報告も亦応急措置もともに行なわなかつたとしても、それを本件事故に直結した過失と評価することは相当でないと考えられるのである(なお、商工課長その他の関係者の中には、用具出し入れ口に気付かなかつたかの如くに述べる者もある。しかし本件で重要と思われるのは、右出し入れ口と立入禁止柵との機能的関係上、後者と思われるうえ、前者についても同公園は倉吉市庁舎に直接つらなつた至近位置にあつて、職務上度々熊舎を見に出かける機会があつたのであるから、かりに右外柵の一部を用具の出し入れに使用している現場を直接目撃した経験まではないにしても右のような隙間がとくに残置されている状況についての認識まで全くなかつたとは到底考えられない。なお、黒川定晴・海田敬三の各検察官調書参照。)。

検察官は、被告人から課長に対して立入禁止柵の不備についての報告をし、かつ応急措置を行なうべき義務が生じていたことの根拠として、事故発生の三ケ月位前にあたる昭和四八年二月ころ近くの小学生二、三人が立入禁止柵をくぐり抜けてキジ舎を見に入つたのを目撃し注意してすぐ柵外に出させたことがあり、もつて危険発生を予知すべき異常の発生をあらたに知つたことをあげるものの如くである。看守人の立場上、小さな出来事であつてもこれを日誌に記載し念のため報告しておくという配慮をすることは、それ自体望ましいことではある。しかし考えてみると、右立入禁止柵の構造を上述のように横にパイプを二本渡しただけの簡単なものにしたこと自体からみて、柵から奥に一メートル位しかはなれていないキジ舎あたりまで柵をくぐり抜けて立入る子供が時にあるかも知れない位のことは、上位の管理者が設置の当初あるいはその後においても、あらかじめ予測できていた筈と言うべきところであろう。右程度のことは設置後被告人のいう右の時間までの十数年間のうちには何度もあつたであろうことが当初の柵丸太の設置、鉄パイプへの取りかえ等の経過から十分窺えるのであるから、被告人が右の時期に子供を目撃して直ちに追い出したというそのときについてだけ、ことあたらしく被告人が自らの判断によつて応急措置を講じなければならなかつたほどの緊急事態となつていたと考えるのは飛躍しすぎている。もし、被告人が目撃した状況につき検察官調書中で述べている右てんまつをとらえて、被告人に本件事故に対する過失責任が存するかどうかの決め手にしようとするのであれば、その前にまず、右以前の時期における子供達の出入りの状況、そのような状況が予測されるのに柵の構造を簡単なものに上司らがとどめた理由、とくに同様の条件にある熊舎西側について施錠可能の鉄製門扉二枚を設置しながら東側だけを右のとおり簡単な柵にとどめた理由、それらの各事情のなかで何が本件にとつて最も大きな事故発生につながる危険をもつていたか等々の諸点を比較検討したうえで判断することが必要である。

ところが、本件においてはこれらの点の検討・立証がなされておらず、したがつて検討不十分のまま右の点だけをとらえて検察官がいうような決め手とすることなど到底できるものではないといわねばならない。

本件事故を誘発した原因事情を卒直に見れば、それは主管管理者が、意外なところに事故発生の危険性をひそませた本件立入禁止柵や用具出し入れ口等の施設を、そのことに全く気付かないで公園内に設置し、その後その改修にあたつてもなお気付かないで存置してきた点にあつたというべきであつて、それをずつとおくれて看守人の地位についた被告人が、早くそのことに気付いて報告するという措置にでなかつたためであるかの如くに考えるのは問題の焦点がすりかわつているように感じられてよく納得することができない。

もとより、本件審理においては、公園看守人の立場にあつた被告人に本件事故についての過失責任があつたかどうかだけが問題とされるので、証拠調もその点を中心として行なつており、したがつて被告人に右の過失があつたとまで判断することができないとの結論に達した場合にも、それでは誰に過失があつたといえるかを右の証拠だけから確定することはできないことが多いし、又確定することは相当でもない。

その点は別途十分の捜査を経て明らかにされるほかはなく、本判決も右の点について何ら断定的な意見をのべるものでもない。ただ被告人を補助的な管理者とでもいうならば、本来の責任ある管理者は誰か、どのような過失があつたか等の諸点が本来問題となる筈のところであつて、かりにその点が明らかにされず、補助的な過失の有無のみをとりあげて処理されるとすれば、実質的には問題がすりかわつてしまう結果になりかねないとの感を懐かされるのである。

公園のように多数の者が自由に出入りし、その中には保護者に伴なわれていない子供も少なくなく、その多くの者が通常相当の時間滞つて思い思いに遊んですごす場所において、熊のようにとりわけ危険な動物の飼育舎を設置・維持するにあたつては、来園者に危害が及ぶことのないよう安全性に細心の配慮をすべき管理者の注意義務は極めて重大である。したがつて、飼育現場に看守人を常駐させている場合であつても、その職務が主に機械的労務作業を中心とするものであつて安全管理を統括・判断すべきものでなく、そのような観点から相応の人事配置や待遇がなされているにすぎないときには、安全管理に関する義務のうち、これらの者に分担させることのできる範囲にはおのずから限界があるというべきであり、まして設備に存した欠陥についての責任をこれらの者に帰せしめるというようなことはできないと思われるからである。

もつとも、管理責任者の注意義務をこのように強調することについては、その結果として、危険な動物飼育舎の設置・維持を一般に敬遠しがちな傾向を生み出すとの批判があるかも知れない。しかし多少そのような傾向を生じることがあるとしても、公園等の場所に危険をともなう施設を設置しようとする以上、安全対策上の配慮が十分になされたものでなければならず、逆にそのような十分な設備ができない限り設置することをあきらめざるを得なくなつてもそれは事故防止の目的上やむを得ないと考えるべきではなかろうか。

結局以上のように考えてくると被告人に訴因記載の如き過失を認めさせるに足りる立証はまだ十分でないと判断されるので、刑訴法三三六条により主文のとおり判決する。

(大下倉保四朗 秋山規雄 江藤正也)

熊舎東側概念図<省略>

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